ロードバイクを始めて
書くことなくてお休みしたかったけど、ここで休むと見事に三日坊主になってしまうので、今日は少なくとも何か書こうと思い、自分とロードバイクとの馴れ初めを書こうと思う。
少し長くなるけど、暇な人は読んでくだちゃい。
時は2015年7月末。
当時ハマっていたダーツにおいて、体力不足による大事な局面でのヘマが多いように感じ、体力づくりのために自転車通学をしようとする。
その際、どうせならクロスバイクあたりで颯爽と通学したいと思い、購入に関してアドバイスが欲しくて身近でロードバイクに乗っているニシに相談した。
親身に相談に乗ってくれて、言葉巧みに誘導して(褒めてる)、非常にわかりやすくロードバイクの良さを説明してくれた結果、気分良くロードバイクを買うことができた。
いい買い物をしたという最高な気分のはずなのに、気づいたらお金は予算の2倍かかっていて、なんか見た目もかなり違う気がしたが、僕は頭が悪いので、気のせいという事にしておいた。
まあ実際、ロードバイクにしてよかったと思う。これほどまでに自分の人生に大きな影響を与えたのは他にない。
遠くまで連れていってくれるし、たくさんの人と自分を繋いでくれた。
そして、現在の自分の人生計画に至るきっかけとなる一大イベントが発生する。
同年11月8日
市民レースの甲子園、ツールド沖縄である。
体力づくりという名目で始めたことを一番良く理解しているはずのニシが、ロードバイクデビューして4ヶ月も経たないうちに開催される市民レースの最高峰に誘ってきた。
本当に頭悪いと思う(褒めてる)。
誘い文句は「俺の実家に泊まればエントリーフィーと航空代だけででれるよ、楽しいよ」
それだけで出てしまう自分も大概である。
そうして誘われたのが確か8月中。
そこからニシに揉まれまくる日々が始まる。
一番思い出深いのが、ニシが南房総でツールド沖縄とほぼ同じレイアウトで作ってくれたコースを走るライド(9月末くらい)である。
120km2000くらいアップ。
ツールド沖縄を完走するには少なくともAve25km/hちょいは必要とのこと。
結局この時はAve25km/hすら到達できず、1ヶ月でそこまでAveをそこまで上げるのは難しいといろんな人に言われ、ニシをとても微妙な気持ちにさせてしまった。
自分はその当時転学部したばかりで、いろいろ不慣れな事が多いこともあり、ちゃんとした練習はなかなかできないまま大会を迎えた。
人生初の沖縄はとても暑かった。
11月頭とは思えない。
さりげなく書いたが初沖縄がレースである。
そんな不安やらドキドキやら色々な感情が整理できないままレース当日になる。
僕が出場したのは100km部門(正確な値は107km)。国頭をスタートし、西海岸を少し走って東海岸へ横断し、最後普久川ダムを抜け名護の中心でゴールというコース。
最初の山はアドレナリンと初の集団走行のドキドキで登りきる。
下りの際、いい集団を捕まえられてその後の平坦を走るが、メーターを見てびっくり。
普段の速度より5km/h以上速いのに、全然脚を使っている感覚がないのである。
今考えれば当たり前のことなのだが、ロードバイク始めたばかりの自分にとっては驚愕の数値だったのだ。
そうして2つ目の山(東海岸への横断)の際に集団とバイバイして単独走になる。
もうこの時には脚はパンパンで峠も10km/h出てるか出てないかくらいだった気がする。
そうこうしているうちに2つ目の関門を無事突破。ツールド沖縄は公道を封鎖して行う本格的ロードレースなので、足切り関門が存在する。こいつが曲者で、毎年こいつの餌食となり完走できず悪魔の回収車に乗せられる人が多い。とりわけ2015年大会は他のクラスの都合でスタート時間が30分ほど遅れ、完走率が異常に低かったのだ。
そんなトラブルもあり、何もない状態でも完走がギリギリ無理そうという状況だった僕はとにかく限界まで踏み続けた。
FTPなんて知らないし、適正ケイデンスとかもよく分からない。
そんな状態で踏み続けた。
途中からふくらはぎは攣り始め、伸ばしながら頑張って、泣きそうになりながら頑張って、何とか最後の関門を抜ける事ができた。
死にそうになりながら、限界状態の選手を絶望させる通称イオン坂を登り、ラストの直線に入る。
先にゴールしたニシの声援が聞こえ、ワケもわからず、ふくらはぎが攣りながらもがいてもがいてゴール。
タイム…3:46:39.810(Ave26.47km/h)
順位…125/168位(出走者297名)
使用機材
Bianchi Via Nirone 7 pro (2016)
コンポ…SORA
ホイール…初期装備
サイコン…CATEYE STRADA
ペダル…SPD
ゴールした後はしばらく号泣していた。
バイクを抱きしめながら泣いていた。
ニシの前でも構わず泣いていた。
弱ペダの荒北っぽいね。
この時の感覚が、今の自分の始まりである。
その後レースに何回か出るようになり、目標は少しずつでかくなっていって、去年11月に一番大きい大学のイベントである教育実習が終わったタイミングで本気でレース活動を始めた。
そして今年の春前あたりから本格的にサイクルフリーダムでお世話になるようになり、夢ができた。
プロの壁はあるが、一矢報いたい。
先日就職活動が終わり、運良く高校の時から憧れていた企業の内定を勝ち取り、結果として休みや練習時間が取りやすい企業となった。
最初からロードバイクとは出会う運命だったのかもしれない笑
そんなこんなで、いま自分にはいい風が吹いている。
この後悪い風は必ず襲いかかってくるとは思うが、負けずに頑張っていこうと思う。
長文失礼しました。
最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございます。
これが僕の原点です。
これからもこんな僕をよろしくお願いします。